« 西崎まりの氏のこと | Main | 後藤寿庵とパソコン Part2 »

後藤寿庵とパソコン

以前2chに書き込んだパソコン遍歴を発掘した記事を書いたが、僕とパソコンについてもうちょっと書いてみたい。
最初にパソコンを見たのは、確か高校に入った頃ではなかったかと思う。
岩手県水沢市(現奥州市)、水沢駅の東側にあった、ハムショップJALCという、アマチュア無線関係のお店に、シャープのMZ-80Cが入っていたのだ。僕は中学時代にアマチュア無線(電話級)の免許を取っていたので、JALCという店は知っていたのだが、あるときいってみたらなんと、「コンピューター」が売っていたのである。
とはいえ、当時のMZ-80Cは268,000円。高校入ったばかりの少年に手が出る代物ではない。僕はJALCの親父に「これ、ちょっといじってもいいですか?」と聞いて、店先でいじっていたのだ。

最初は横においてあったマニュアルを読むことから始まった。マニュアルに載っていたBASICのサンプルプログラムを打ち込んでみた。画面いっぱいにUFOを表示するものだった。僕はてっきりこのプログラムを実行すればUFOが画面を動き回るものだと思ったが、実際は単にPRINT文の羅列で静止画像(というか、アスキーアート)を表示するものだったので、たいそうがっかりした覚えがある。

パソコン雑誌を買って色々試してみた。競馬ゲームというものがあって、複数の馬が同時に走り、一着を競うというものだった。上から下まで順々に馬の絵を描き、前の絵を消しては少し右に進めたいちに新たな馬の絵を描くというものだった。僕は馬の絵を描いて、その馬に「走れ」というなんらかの命令を送ることで勝手に走るのだと思っていたが、実際は一頭一頭乱数によって決まる距離だけ位置をずらしては順番に書き換えるというものであることがわかった。意外とパソコンというのは融通が利かないものだと思った。オブジェクト指向の考えが普及する以前のことであるし、マルチタスクは存在はしたが、パソコンではまだ夢の技術だった時代だ。

しかし、プログラミングというものに、僕は夢中になった。思ったとおりにコンピューターを動かすのは快感だった。とはいえ、店頭の一台しかないマシンをいつも使えるわけではない。文房具屋でFORTRAN用のコーディング用紙を買い込み、自宅でBASICのプログラムを自分で考えていろいろ書き留めた。別に大学ノートでもいいのだが、なんか専用の用紙がかっこよかったのだ。で、そのプログラムを学校が終わった後にJALCに直行して試していたのだ。

月間ASCIIに、フリートコマンダーという、日本初の戦略シミュレーションゲームが掲載された。そのころJALCに集まっていた中高生数人でプログラムリストを打ち込んだ。あまりに長いプログラムだったのだ。何箇所かのタイプミスを修正して、なんとか動作したが、動作速度は壊滅的に遅かった。当時のパソコンで、動きのあるプログラムや、パラメータの多い計算を行うプログラムを実行するにはBASICは遅すぎた。

僕はアセンブラやコンパイラに魅かれていった。といっても、アセンブラでは小さなプログラムは書けても、大きなものはあまりに煩雑だった。必要なのは、きびきび動くアクションゲームを「簡単に作れる」言語だった。

そんなとき、ASCIIにGAMEという、BASICを簡略化したような言語が掲載された。軽量インタープリタで動作速度はBASICより速いとされたが、インタープリタである以上、限界はあった。そのうち、GAMEで書かれたGAMEコンパイラというものが出現した。この考え方には度肝を抜かれた。インタープリタというものは、人間が理解しやすいように書かれたプログラムを、一行一行コンピュータが理解できる形に変換して動作させるものである。それに対してコンパイラは、最初にプログラム全体をコンピューターに理解できるように変換してしまうものだ。プログラムを実行する度に一手順ごとに解釈するインタープリタに比べ、一度に全てをマシン語に変換してしまうコンパイラの方が、作成されたプログラムの実行速度は速くなる。

通常インタープリタとコンパイラは仕組みが全く違うので、それぞれいちから書き起こされるものだ。しかし、GAMEインタープリタは自分自身のコンパイラをかけるほどに融通が利いていた。というか、文法が単純なのでコンパイラを作るのが簡単だったということかもしれないが、とにかく、自分自身をコンパイルするという発想に驚いたのだ。

GAMEコンパイラはGAME言語で書かれている。従って、コンパイラがインタープリタで動作する。ということは、コンパイルする速度はあくまでインタープリタのそれであって、結構遅い。このままではちょっと実用的とはいいかねる位遅いのだ。しかし、コンパイラ自体がGAME言語のプログラムであるから、自分自身をコンパイルできるのだ。するとどうなるか。

最初にコンパイラをコンパイルするのにはかなるの時間がかかる。しかし、次回以降、任意のGAMEプログラムをコンパイルする際は、コンパイルされたコンパイラが使用できるのだ。これによって、コンパイル速度の問題は解消される。

大人になってから知ったのだが、GAMEコンパイラを作った人は、当時高校生だったそうだ。つまり大体同年代だったのである。すげーなあ。僕が画面にUFOのAA表示して一喜一憂してるときに、コンパイラを作っちゃってるんだよ。その人は後に渡米してMicrosoftに入り、Windows95やIEの開発に参加していたらしい。

まあともかく、単純で理解しやすく、動作も速いプログラミング言語を手に入れた僕は、これでゲームを造ろうと思った。しかし、雑誌に載ってる完成品のリストを打ち込むのと違い、自作のゲームとなると、アルゴリズム自体の間違いもあるし、動かしてみないとわからない問題点も多々あり、動かしては修正の連続で時間がかかる。JALCの店頭のマシンを占拠しっぱなしというわけにもいかない。

そんなとき、JALCでMZ-80K2を買った年下の少年がいたので、「完成したゲームあげるから」といって彼の家のマシンを使わせてもらうことが出来た、完成にこぎつけた。

どんなゲームを作ったかというと、パックマンである。面開始時の、あのBGMも再現した。キャラクタ画面なので、グラフィックはしょぼいが、MZには絵文字的なキャラクタも多く用意されていたため、それなりにそれっぽくできた。

僕は得意になり、ASCIIにこのゲームを投稿した。

没だった(笑)。

まあ、当時ゲームの著作権が厳しくなり、モロパクリのゲームが減ってきていた時期であるという問題もあるが、やはり出来が悪かったのだろう。実はパックマンにおけるモンスターの動きを誤解していた。よくみるとあのモンスターというのは、曲がり角や交差点までは方向を変えずに一直線に動き続けるのだが、僕が作ったものでは、いまパックマンがいる位置を目指して常に追いかけてくるアルゴリズムになっていた。道の途中ででも引き返して追いかけてくるので、フェイントが効かず、ゲーム自体難しく、面白みのないものになってしまっていた。

当時、パソコンはブームになり、JALCは無線機よりもパソコンで売り上げを伸ばしていたようだ。店を移転し、大きなフロアでパソコンを売り始めた。それまでは店においているのはMZ-80Cだけだったが、新店舗ではMZ-80B、PC-8001、東芝パソピアなど、各社のマシンが展示されていた。

JALCでパソコンを買った大人たちが勉強会を開くことになったとき、僕は講師として呼ばれた。場所は地元の小さなミニコン関連会社の二階会議室。僕は自分の父親くらいの年代の人たちにBASICの講義などをしたが、僕自身我流の理解しかしていなかったので、あれはどうだったんだろうなあ。

うちの親が、そんなにパソコン好きならということで、大学に合格したらパソコンを買ってやるという条件を出した。無事合格して買ってもらったのが富士通FM-8。6809を二つ乗せ、一ピクセルごとに8色出せるモンスターマシンである。しかし、複雑な構成で、画面を直接いじるプログラムが書きにくいマシンでもあった。表のプログラムが描画命令を出すと、その命令を裏の描画専用CPUが受け取って画面に表示するのである。インテリジェントで洗練されている、さすが大型コンピューターの会社が満を持して出したマシン、なのだが、そんな間接的な仕組みの上に、当時としては豪勢なビットマップ画面を装備したため、描画はお世辞にも速いとはいえないものになっていた。

事務処理には問題ないのだが、ゲームなどを作るにはあまり向いていなかった。そして事務処理にはまだこれほどのビットマップ画面は必要ではなく、結果として価格、用途、性能全てにおいて中途半端なマシンだったと思う。結局、値段を下げたFM-7以降それなりに売れるのだが、8は失敗作だったと思う。

FM-8の価格は確か本体だけで218,000円。PC-8001が168,000円だから、結構な差がある。モニターも高い時代だったので、本体分の予算しかもらえず、JALCに家庭用TVアダプターをおまけしてもらって、TVに繋いで使っていた。
ちなみに当時はビデオデッキも普及しておらず、家庭用TVにもRCAビデオコネクターがついていないのがあたりまえの時代だったので、パソコンの出力を電波に変換してアンテナ端子に繋ぐ代物だった。初期のファミコンを使ったことがある人だったらわかるだろうが、画面はノイズだらけでかなり目に悪く、細かい文字は読めないのだ。

結局BASICでもぐらたたきゲームを作っただけで、大学入学後もしばらく使わないマシンになってしまった。

東京電機大学に入学した僕は、すぐ近くにあった秋葉原に入り浸った。そこで見つけたジャンクのグリーンモニター(ケースがなく、金属フレームにブラウン管と回路基盤がついてるだけのもの)を安く購入し、配線をちょめちょめしてFM-8に繋いだ。モノクロだが、こんなに綺麗に写るのかと感心した。
次はフロッピーだ。さすがにカセットテープの時代ではなくなってきていたが、富士通純正のフロッピードライブはとても高かったので、秋葉原で他社製の互換ドライブを購入した。しかし、実はフロッピーを使用するためのDiskBASICは、純正ドライブにしかついていないのだった。ではなぜそもそも互換ドライブなんてものがあるのか。
実は販売店が購入客にDiskBASICのディスクをコピーしておまけしていたのだ。おおらかな(というかアングラな)時代である。

とりあえず環境が整ったので、僕はFM-8で絵を描こうと思った。しかし、ろくなお絵かきソフトもない時代である。下絵を描いたサランラップを画面に貼り付け、カーソル移動で座標を選んでデータを読み込む自作プログラムを作成し、読み込んだ座標の間をLINE文で繋いで絵を描くBASICプログラムを作成していた。カーソルキーで座標を拾うのは結構大変なので、ジャンクのアナログジョイスティックを買ってきて繋いだりもした。FM-8にはなぜかA/D変換回路までついていたのだ。

長くなったので続きます。

|

« 西崎まりの氏のこと | Main | 後藤寿庵とパソコン Part2 »

「パソコン・インターネット」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/10254/11626382

Listed below are links to weblogs that reference 後藤寿庵とパソコン:

» あの有名な広告媒体の、キャンペーンが始まりました。 [今なら3分で無料副収入の道が作れます]
はじめまして、楽しく拝見させて頂きありがとうございます。このたび、ブログに関するサイトを作りましたので、トラックバックをさせて頂きました。貴ブロックの訪問者にも非常に役立つ情報だと思っております。ぜひご訪問頂ければ幸いです。万一ご不要でしたら、お手数ですが削除ください。失礼致しました。... [Read More]

Tracked on 2006.09.07 at 12:50 PM

» nederweert [nederweert]
monticello d'alba maggie simpson metaverso matterello [Read More]

Tracked on 2006.09.12 at 01:28 AM

» hotel savoia abano terme [hotel savoia abano terme]
jersey biancheria da letto giuseppe ungaretti i fiumi gran hotel astoria grado intimo ... [Read More]

Tracked on 2006.09.12 at 08:18 PM

« 西崎まりの氏のこと | Main | 後藤寿庵とパソコン Part2 »